ほしいものとほしがっているもの

ほしがっているものが手に入らなくて、もがいてあがいて
そして手に入らなくて、諦めて。

諦めたとたん、それは何故か近くなり
向こうから来てくれるようになってしまった。
もう、強い興味や好奇心はなく
淡々と欲しかったはずのそれを見る。

不思議なものだけれども
ちょっとわかる気がする。

ほしがって背伸びして身分相応な事をしていなかったことが
ばればれなそんなことだったにちがいない。

その人に見合った物がその人にはやってくる。

きっとそういうことなんだろうと、今は思いたい。
とりあえずあたしは幸運で恵まれている。

今は手に入らないものはそれなりに相応なものではないのだろう、
と思うようになってしまった。執着が恐ろしく削げ堕ちてしまった。

無論努力はする。努力して努力してでも手に入らない場合は
いろいろ時期ではないんだろう。

そう、思うようにしているわけではなく
思うようになってしまった。

人を好きだと思う気持ちも一緒で
期待をするわけでもなんでもなく
ただただ、その人が幸せであればいい。
そう思う。
そして近くに居させてもらえればそれでいい。

何もしてほしいとも思わない。
何かしてあげたい、とは軽く思う。
過剰にではなく。過剰は押し付けである。自己法律の押しつけだ。

大事な人を大切にしてゆきたい。
恋人だろうとも友人だろうとも。
変わりない大事な人たち。

そういう人がいるから
あたしがなりたっているんだと思う。多分。
そうでないと。あたしは自分を捨ててしまう。